もう、梅雨入りですか?
さて、ワクチンは如何ですか?もう順番がきましたか?
わたし?そうですね。高齢者ですが「別に・・・」という感じですかね?もう少し詳しく言えば、私自身は、「別に・・・」ですが、
他者、特に友人、知人、身内、又、私の大切なサポター?仲間の方々に、もし私が・・・・、申し訳なく、後悔したくありません。
それに、今の閉じこもり生活も1年半近くなれば、慣れと云うか、それなりに「色々な楽しみ」を見つけられます。
そうですね、例えば、初めてMilanoに行った時(希望していったのでは無き業務・・・前日の深夜まで仕事)
初めの1~2週間は、言葉も通じず、本当に不自由でした。
何しろ超多忙な東京サラリーマン戦士だったため、何をして良いのやら・・・そして渡伊。今度は、ただただ暇で暇で・・・
会社に出社しても、英語の話せる方は責任者の方で、やはり、R&Dの部屋には来ず・・・
他の方は、フランス語やドイツ語は話せるのですが、・・・たとえ、居ても私自身満足に英語が喋れるわけもなく・・・。
そして、私は幸いなことに単独だったので、誰にも看視されることも無く「出社するのやめよう。意味が無い」と自分で決めました。
そして、その3ヵ月の不自由生活を自分なりに楽しくならないか?と自然に気付き初めたのです。
例えば、毎日通うレストランで、オーダーと違うものが出てきても「食べる」。そして、「美味しさを見つける。」
それまで、唯一知っていた、「オムレツーオムレット」を1週間くらい食べつづけていると、
店主が、「オムレツ」と云って、ハムの入っている「オムレツ」を出してくれた。
そして翌日は、「チーズ入り」その翌日は、「トマト入り」・・・そして、ワインも毎夜1本頼むのですが、1人で飲み切れず、亭主と
飲むようになり、ようやくその頃から ITALIA語 というのは、言葉なのだと感じられるようになりました。
その頃からでしたか、恐る恐る利用していた交通機関に関しても、ある日「間違えれば、戻ればいい!!!」。
これが、人生観の、転換期でしたネ。
何というか「ドツボに落ちた?」・・・つまり、危険思想領域に突入してしまいました。
(周りの空気を読まない・・・生まれつきその傾向はあったようなのですが、完全開花してしまいました。)
それからは、1週間有効のトラム・バス・地下鉄乗り放題券を何度か買い「ミラノ完全制覇ですヨ!!!」
お陰で、恐怖のミラノから、ワクワク MILANO 大好き、イタリア大好きになりました。
結果、この様なサラリーマンは、戦士失格。帰国早々退社の決断。パンドラの箱が空いてしまったのですね。運命です。
決して、私が、空けたかったのではありません。宿命です。
それにしても、「私の雇用主は、私に何をさせたかったのか?」100人足らずの小さい会社、ようやく、初めて黒字になりかけていた1974年。
私は、確か26才になったばかりでした。
(今から思うと、本当に申し訳なく・・・雇い主、創設者曰く「お前の面倒はみた。」感謝としか言いようがない。)
確かに、無知としか言いようがない私でした。若気の至りでした。
そうそう、つまり言いたい事は、「楽しみは、見つけないと、見つからない」と、気が付いたということです。
戻りますが、その様なとじこもり生活では、食事?メシ?いいえ「食べる事」が、ことさらに楽しみです。少なくとも私にはね!!!
そして、5月は「記念日」が、多いと身近な人に伝えたところ、かくの如く。頂きました。
私の好きな、フラスカッティ、モンタルチーノ?、モンタルチーロ(少し重め?)、オリヴィエート(白にしてはやや重め)・・・
ピエモンテ名酒 ドルチェット ダルバ、(重め) あと、2~3年待った方が、いいように思いますが・・・、それまで・・・私が、・・・。
重めのチーズ、ロンバルディア のあの ゴルゴンゾーラ(若くてまだ少し硬い方が良いです。私にはネ。)・・・手に入るかな?
東京に行くの嫌だし・・・
他は、ワインは知りません。(イタリア産ではないので)ただ、値段もとても リズナブル と思えるよね!!!GOOD choice.
そして、これは随分前に飲んだ遺留品です。確か数年分ですね。こう見ると。飲んでますね。
もちろん、今は、カミさんと2人で1本開けると私はすぐ寝てしまいます。
I さん心配しなくても、フラスカッティ飲まないですよ。ご安心。
さて、何の料理作ろうかな? 寒いので、モンタ2016年の赤が飲み頃ですかねェ、5年目ですね。落ち着いた頃ですね。・・・
これに合う料理かな?早速カミさんと打ち合わせ・・・
この様に忙しいのです。
こうご期待。
本当に身勝手な超自己中極まり主也
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